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漆掻きの歴史

2024-02-11T20:00
漆掻き道具
岩手史学研究 第77号 南部ウルシカキの変遷 田中正一
江戸時代、南部藩で行われていた養生掻きについて記載されている項の資料です。
皮剥鎌(かわはぎかま)で粗皮を削って「ひびかんな」で「ひび」(傷)を付ける、、、、とあります。
昭和57年に東京国立文化財研究所と中華人民共和国の一行が浄法寺に訪れた時に当時の浄法寺漆組合長の岩舘正二さんが実演をしたと書かれています。
この時に初めて浄法寺に中国の漆の木も持ち込まれたと聞いたことがあります。江戸時代から浄法寺では、皮剥鎌(かわはぎかま)が必要な漆の木を植林していたことになります。現在のDNA鑑定より縄文時代の漆と同じ系統があることが判明しています。
日本独自の北東北の漆文化、大切にしたいです。

漆掻きの歴史2

2024-03-23T12:00
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岩手史学研究 第77号 南部ウルシカキの変遷 田中正一
一般的に養生掻きは、1年目は木の成長期の夏の盛りに辺掻の一部を、2年目は木を休ませ、3年目の夏に残りのウルシを掻き、晩秋へかけて裏目、止を掻き、その後に木を伐採して枝漆を採取するのを言うのである。
しかし南部の養生掻きはこれとは違う夏の盛りを避けて木の成長減退期に木を殺さないように掻きとるので特に「南部の養生掻」として有名になった。明治初年に越前から二戸郡へ下ったウルシカキの古老が「南部の馬鹿掻」と私へ話したことがある。、、、、とあります。
江戸時代の養生掻きについてはよくわからないです。樹齢100年200年の漆の木があちこちにあったと別な記録がありますが、この説明であれば納得できます。
浄法寺地区は、今、さまざまな漆樹の亜種があり、漆の植物園のようになっています。

漆掻きの歴史3

2024-04-21T20:40
掻き鎌の必要な漆樹
中尊寺金色堂、昭和の大修理で使われた浄法寺、松森佐次郎さんの貴重な漆掻きの写真です。ごつごつした樹皮なので掻き鎌が必要なことが判ります。文化財漆協会が設立される以前で、中国の漆樹が入る前に浄法寺で撮影されたものです。
江戸時代までは木の実からとれる漆蝋がお金になり、樹木を残す必要がありました。明治以降は、灯油が輸入され漆の実からとれる蝋製品に需要が無くなりました。樹液が換金の中心になり樹木を伐採するようになりました。今でいうエネルギー需要問題です。
わたしは、中尊寺金色堂が建立できるような財力は漆蝋があったからではないかと考えています。
この品種から採取した漆が爆弾の起爆装置に使われました。品質的には何も問題はありません。

漆掻きの歴史4

2024-05-15T21:10
南部藩DC1653
江戸時代の南部藩の領域の地図です。
1596~1623年頃の南部利直の書状には、漆の養生掻きについての記載があります。
1643年には、江戸城三の丸創建に南部藩が漆を献上したことに対する返礼の書状があります。
1653年の南部藩「雑書」には、南部藩に漆が上納された明細が残っています。 その詳細は浄法寺町史によると、安比川、平糠川など支流を含む馬淵川流域が圧倒的な割合を占め、上北は少なく下北は皆無であり、盛岡以南は比率が少ないとされています。
1823年にシーボルトが長崎に来日し、植物学としてのサンプルを持ち帰りましたが、1870年前後に、函館領事館に赴任してたクインがKewガーデンに掻き鎌をコレクションしたことからも、掻き鎌が必要な品種の漆の木が江戸時代初期にはこの地域に植栽されていたということになります。

漆掻きの歴史5

2024-06-13T19:00
漆樹標本
このデータは、東北大学植物園の鈴木三男教授による縄文時代の漆樹の同定研究結果です。年輪内の早材部分において、道管径が樹の成長とともに大きくなっているのが特徴です。
標本は 浄法寺文化会館の漆樹 で、樹齢は30年から40年頃の部分です。データと一致していることがわかります。また、Photoshopのレンズ補正やIllustratorを使用することで、μmm単位を決定しています。
ごつごつとした樹皮の木は掻き鎌が必要であり、これが縄文時代から伝わっていることがわかります。遺伝子レベルでの解析 でも、現在の浄法寺の樹が縄文時代と一致していることが証明されています。
浄法寺文化会館の漆樹は、現在植栽地でよく見かける中国から持ち込まれた種 とは異なります。これは縄文時代から続く樹齢1年から100年までの貴重な植物学的記憶遺産でしょう。

漆樹標本

2024-07-01T12:00
漆樹標本先端部分
データは、東北大学植物園の鈴木三男教授による縄文時代の漆樹の同定研究結果です。年輪内の早材部分において、道管径が樹の成長とともに大きくなっているのが特徴です。
標本は 大森俊三さんから送られてきた種子と冬芽の付いた枝部分です。データと一致していることがわかります。
データーの無い中心部分は道管の径が早材部分と遅材部分が均一です。硬度も低く2年目以降と質的に全く違います。これは樹皮がゴツゴツしているものとそうでないものと共通の特徴です。

漆:樹皮:髄

2024-08-01T12:00
漆樹断面
写真は、樹皮がゴツゴツしているウルシ樹の断面です。掻き取られた後、伐採されて切り口から樹液がにじみ出ています
樹皮  (wikipedia)など、樹木の様々な形状の違いが分類の大きな手掛かりとなります。気候の変化や地形、土壌などの生育条件の違いによって起こりうる変化と、遺伝的に引き継がれる特徴には違いがあります。
浄法寺文化会館の漆樹の中心部分は残念ながら標本がありませんが、私の作品 の中には髄を含めた道管の大きさのデータも残っているので、取り出すことができます。
縄文時代の木材の同定において、樹皮が残っていない状態ではヤマウルシとウルシを見分けるのが難しいです。しかし、道管における早材の径の変化を観察すれば、認証がしやすくなると思います。

文化庁「ふるさと文化財の森」

2024-09-01T08:30
浄法寺漆林
「浄法寺漆林」 は、 文化庁「ふるさと文化財の森」システム推進事業 にその第1号として2007年に登録されました。
この写真の地域は、私が浄法寺にいた頃(1995~2000年)、漆掻きさんや町民の方々から教えて頂いた凸凹した樹皮の漆木の植栽地でした。さまざまな種類の漆の樹があることを知らなかったため、その重要性や希少性を理解するのに数年かかりました。
木の種類が違えば植林の技術も異なります。凸凹した漆木の植栽地と植林技術が伝承されており、地元の植栽組合で管理できていることを東京の漆関係者に情報提供ました。埼玉に移住した後、この事業が始まったことに感激しました。
グーグルマップのストリートビュー 検索浄法寺うるし林 で最近の様子を見てみると、残念でなりません。同じ種類の樹で修復すると、どこを修復したのか分からなくなるほど色合わせができます。しかし、いつの間にか凸凹した漆木とは違う漆木が多く植林されたり、混在したりしています。

昔ながらの地域の遺産を知っていただければと思っています。
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